Body Fire
狭くて硬いやけに寝心地が悪い寝台列車のベットの上で目を覚ますと、窓の外には打ち付けるような太陽を浴びてきらきらと光輝いたガンガー(ガンジス川)が現れた。
ここはヒンドゥー教の聖地バラナシ。人は死を受け入れたとき、ここへとやってくる。
”ガンガー女神に抱かれ 光に満ちた来世を願いながら”
ヒンドゥー教徒にとって、”どのように”死ぬかではなく、”どこで”死を迎えるかが重要なのだ。
自称医者と名乗る胡散臭い男に案内され連れて来られたのが火葬場の目の前に建つホテル、部屋の窓を閉めていようとも火葬場から煙が立ち昇り、目や喉を鋭く刺す。大きく息を吸い込むたび、俺の体を何かが蝕んでいくような息苦しさを感じた。
「人が焼ける臭いとは、そんなにいいもんじゃない!」
ホテルの屋上からは雨季のため増水し、奔流となったガンガーが目の前を激しく流れていく。
”すべてを呑み込む聖なる ガンガー”
時折、焼かれることなく流され水を吸って肥大したヒトらしき肉塊が目の前を流れていく。眼下では組まれた薪の上に死体が運ばれ、淡々と.....ただ淡々と......焼かれていく。
インドにはカースト(インドの社会身分制度)にも属すことができない、この世に生を受けてから死ぬまで死体を焼き続ける下層階級の人達がいる。父から子へ、子から孫へと受け継がれ、死しても尚、そのカルマ(因果)から抜け出すことはできない。
その場に恐怖のようなものはまったく感じなかった。すべてが当然のように美しく、自然とそれを取り巻く世界と同化していた。生と死が表裏一体で混在しているこのインドにおいて、人が死に、自然に還っていくということはごく当たり前のことなのかもしれない。それが魂を預かった肉体の本来のあり方なのだと悟らされる。
火葬場の周りには親族と思われる人たちが集まり、とり付かれたように一心に燃え盛る炎を見つめていた。
ふと、あることに気がついた。そこに女達の姿が無いのである。次の親族も、その次もそうであった。
屋上に洗濯物を干しに来ていた従業員にそのことを訪ねてみると、男は、一瞬切なそうな顔で、「火葬場に女を入れないのは、感情に呑まれ死者の後を追って炎に身投げするものが後を立たない為、それにその女の執着が死者の魂をこの世に繋ぎとめてしまい成仏するのを妨げてしまうからなんだ」そう話してくれた。
いったいどのぐらいの時間を そこで過ごしていただろうか?!
いったいどれほどの死体が焼かれていくのを、そこで見ていただろうか?!
こんなにたくさんの死体を見たのは生まれて初めて、きっと一生分だろう。
いつか自分にも死は訪れる、ならば今、ここにある境界線を見てみたかった。
陽が沈むと、あたりは急速に闇に支配されていった。”ぐ〜”
腹の虫がうなだれるように鳴いた。そういえば朝から何も口にしていないんだった。人が死ぬことも自然なら、生きているから腹が減り、腹が減ったからご飯を食べるのもまた自然なことである。
狂犬がうろつく夜の街に出るのを避け、今夜はホテルの3階にあるレストランで食べることにした。10年前、ここインドで狂犬に噛まれたことがトラウマとして未だに俺の心を支配していた。
その晩、ホテル側の好意により俺ら家族のためにタブラーというインド太鼓の演奏会を開いてくれることになった。指先の芸術、打ちつける指先は力強く、まさに神業、あまりの速さに何十本にも残像となって見えるほどだ。その歯切れのよい音とリズムでその世界にどんどん引き込まれていった。
突然、外が騒がしくなった。
その騒ぎはガンガーに面した燃え盛る火葬場の方から聞こえてきた。タブラーとはまた違った激しいドラムの鼓動が窓越しにでも伝わってきた。笛や鈴らしき音色、人々が歌う陽気な声もそのドラムと共鳴してその場の空気をそっとやさしく包み込む。
「何のお祭りだろうか!?」そう思えるような愉快な音色であった。俺の興味はその音に吸い寄せられるように無意識に窓辺へと向かっていた。窓ガラスに額をつけ、眼下に広がる未知なる世界、そこで俺の目の中に飛び込んできたもの......
それは、男達に担がれ運ばれてきた女の死体であった。
死後何日か経っているのだろう、それは石膏で固められたように硬直し、顔以外、色鮮やかな布に全身を包まれ、まるで蝶になる前のさなぎのようであった。
その周りでは人々が楽器を打ち鳴らし、皆が陽気に唄い踊って死者を送る。
「こんな葬式もいいもんだ」
ガンガー沿いに組まれた薪の上にそっと乗せられ火がつけられた。炎は次第に大きくなり、体を包んでいた衣に燃え移った。いったん命を吹き込まれた炎は勢いを増し、まるで生き物のように色を変え形を変えて襲いかかる。衣を焼き尽くし、下から現われた皮膚を焦がし、肉をも食らう。炎に包まれ水分を失った肉塊は浅黒く干からび、腕や指先は焼いたスルメのように奇妙な形に反り曲がっていく。
”まるで死者の踊りである”
タブラーとドラムの音は互いに共鳴し合いさらに勢いを増し激しく高まっていく。俺の心臓は高鳴り、激しく脈打った血液の波が全身に.......指先に至るまで音を立てて流れていくのを感じた。
”深く......もっと深く............”
儀式は最高潮に達し、大地は震え、炎は踊り、人は狂って渦巻く宇宙に呑み込まれ、すべてのものが”無”となっていく。その瞬間.......
越えてはいけない一線を俺は越えてしまったような気がした。
=そこは生と死を司る神の領域 =
それは女神なるガンガーに捧げる生贄の儀式だったのかもしれない。
ふと、横を見ると父さんもルイも窓ガラスに額をくっつけ、その世界を覗き込んでいた。 2人にとってこの世界がどのように映っていたのか俺は知りたかった。炎が水面に写りこみ、やわらかく幻想的な世界を作り出していた。
次の瞬間......燃え盛る肉体のお腹の辺りから勢いよく水しぶきが上空へと噴出した。
-すい臓が破裂したのだ-それと同時に、立ち昇る水蒸気と共に何かが空へ向かって昇っていった。
それが ”魂” と呼ばれるものなら、何て美しいものなのだろう!?舞い上がった灰がまるで雪のように空から舞降りてきた。さなぎは肉体という殻を脱ぎ捨てて、蝶となって天へと還っていった。
これが僕が見たかったこの世とあの世の境界線だったのかもしれない。
インドは僕達一人一人の心に生きるとは何かを投げかけた。父は、家族が帰った後、エベレストが見たいと一人ネパールへと旅立った。父の後ろ姿には、死を見つめ生きることを渇望した者が背負う力強さがあった。ルイは何だかんだ言ってもまだまだ子供、帰ってからまだ手のつけてない宿題に一人思い悩んでいた。
”俺はこんな素敵な家族に生まれたことを心から感謝している”
" Life is great journey. "
" Journey is great life. "

