豊かになった日本が失ってしまったものとは....
”今の日本が見てみたい”
ふと、そんな気持ちになって帰ることにした。一時帰国を除けば、3年近く日本を離れていたことになる。
雨季と乾季しかない灼熱の大地アフリカに長くいたせいか、日本の四季がたまらなく嬉しかった。
季節の移り変わり、そんなものをこんなに強く意識したことなど、今まではなかった。
日本は相変わらず忙しく流れていた。その流れの中でみんな一生懸命働いていた。僕みたいな無生産者から見ると、その人達には頭が上がらないし、今は自分の為にしか生きていない僕にとって子供を持ち家族という自分以外のもののために生きている人達はすごいと思う。社会的に何も生み出すことなく、守るべきものを何も持っていないという意味では、確かにこの旅に出たことで代償もあったと思う。
しかし、それらを考慮しても、この旅で感じてきたもの、それによって得てきたものは大きかった。若いときしかこんな旅できないし、家庭なんか持ったらなおさらだ。
”だからこそ今、自由に精一杯旅していたい”
実家のすぐ近くに神社があって、”いのちの池”という池がある。それは確かに僕が生まれる前からそこにある見落としてしまうほどの小さな池だ。帰国してからというもの、僕は毎日水面に映るもう一つの世界を見ていた。太陽の角度によって、刻一刻と異なった光の世界が現れる。その世界に風が吹けばさざ波が立ち、亀が泳げば波紋が広がる。春になると、水面には一斉に桜が花開き、桜が散ると、その世界はまるで雪でも降ったかのように無数の花びらで覆い隠される。
”命の池”でたくさんの”今”という瞬間を見ていた。
旅をして、特にカメラを通して、さまざまなものを広くより深く見る目が養われた気がする。ふと、立ち止まってゆっくり..... ゆっくりと....辺りを見渡してみる。自分の意識次第で世界は実にさまざまな顔を見せてくれる。
それは場所に限ったことではない。
家族がいて友達がいること。雨風しのげる家があり、腹が減ったら飯が食える。そういった繰り返されるがゆえに麻痺してしまった喜びと感謝の気持ちを取り戻し、”すべてはすでに自分の中にある” ということに気づくことが大切なのだとこの旅で学んだ。
アフリカという土地から日本に帰ってきて感じたことの一つは「不自然な国」だということだった。
森や川などの文字通りの自然も次第に減ってきている。そのため子供の遊び場も外から内へ、体で感じる遊びから頭で考える遊びへと変わりつつあるように思う。また”死”というものを必然的なものとして捉えたとき、それらを隠しすぎる日本の社会は不自然なものと思える。
「僕たち人間は他の生きものを糧にして生きている。」スーパーでラップに包まれて売られている肉が元々は鶏や豚や牛だってことは頭では誰でも理解していることだろう。(今はそれすらも知らない子供たちがいるのかもしれない。)それでも、それらを食べ残し安易に捨ててしまえるというのは頭でしか理解してないからではないだろうか?!自らの手で一度でもそれらの命を断ったことがある人だったらそんなことできないはずだ。
暴れる鶏の羽根を押さえつけ、か細い首を掴み、喉元に刃を当てる。首元を握りしめた手の平から頚動脈を這っていく血の脈動が伝わってきた。押さえつけてもなお、逃れようと全身を震わせ必死に抵抗しようとする。張り詰めた緊張から体は硬直し、ナイフを握る手にも一層力が入る。ドラムが速度を増して打ち鳴らされていくかのように鼓動は高鳴り、激しく脈打った血液の波が全身に.......指先に至るまで音を立てて流れていくのを感じた。全身の毛穴からじっとりと汗が滲み出してきた。
その生きものは最後のつばを呑みこむかのようにビクリッと喉を震わせた。もう一度ナイフを握り直し、意を決し、一気に掻き切る!手に伝わってくるゴリゴリとした鈍い感触、同時にどす黒くドロドロとしたものが溢れ出し、ナイフを握る僕の手にまとわりついた。それは何とも言い難いほど生あたたかく、僕の体内を流れるものと何ら変わらないようだった。
手の中にあるものがまだ生きものであることを示していた。首を落とされてもまだ全身を震わせ走り出そうとする生命力に動揺し、自分がした行為の意味をそのとき把握した。次第にその生きものは動きが緩慢となり、小刻みな痙攣を最後に........モノ へと変わった。
その瞬間に気づく ”生かされている” という実感!
そういった体が震えて心へと響いた一つ一つが実はとても大切で心を豊かにしてくれるのだろう。
テレビゲームや映画などのバーチャルな世界でしか死というものを知らない子供たちが増えている。 だから反対に”命の尊さ”ということを曖昧にしか理解できないのではないのだろうか?! 最近多発する凶悪犯罪や集団自殺なども、こういうところから来ているように思えてしまう。
" 知識だけではなく経験を "
" バーチャルではなくリアルを "
" 不自然なものを自然に・・・・・ "
また、「この国には無駄が多い」ということも痛感しました。
テレビで「アフリカ救済番組」をやっていて深く考えさせられた。しかし、その直後、「日本縦断大食い選手権」の予告が流れていた。
そんな時、いつも僕の頭の中に一つの情景が浮かんでくる。それは、ケニアのスラムにある広大なゴミ捨て場。何ヶ月、何年にもわたり蓄積された膨大な生ゴミは定期的に降るスコールにより、全身を撫で上げるような不快な空気の中で、強烈な臭気を放っていた。
そこにあるのは生ゴミだけではなく、鉄くずや古タイヤなどの産業廃棄物、AIDSなどの感染のおそれもある使用済みの注射器などの医療廃棄物。
それらはまるで都会の汚い物が貧しいスラムに押し付けられているかのように無残に放置されていた。どこからやってきたのか牛や豚もゴミに埋もれながら人間が出したわずかな残飯を鼻で掻き分け必死にむさぼり食っていた。足元に放置された注射器や耐えがたい臭いを発する腐乱したぬかるみに注意しながら奥へと進んでいった。
そこで一瞬.......自分の目を疑ってしまった。牛や豚と争うように人間も一緒になってゴミの山を掘り返し必死で食べものを探していたのだ。腐りかけているようなものを必死にかき集めむさぼり食っていた人々.....ゴミの中にうずくまって生死も判然としない
人々........
彼らの一生とは、飢えをしのぎ命をつなぐ、ただそれだけのものなのか?!
途上国の空の下、ゴミに埋もれて死んでいく人々がいる一方で、日本では日々処分されていく食べ物のゴミの山がある。
日本では、缶ジュース1本で消えてしまうわずかなお金で救えたであろう命を僕はいくつも見てきた。
今、この瞬間、どこかでもう一つの世界が流れているということを、ふとした生活の中で思い出してほしい。
昔、日本にも物乞いの子供達がいた。今は豊かになりその人達も姿を消したが、豊かになりすぎた日本が失ってしまったもの.....
それは一体何なのだろうか?
" Life is great journey. "
" Journey is great life. "

