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 リアル監獄日記 in Kenya 〜Inside freedom〜

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実はここケニアで1週間ほど監獄に入れられていました。
そのキッカケになったのは、ケニアで会ったパントマイマーのヒロ君とレザーを買いにバイクで屠殺場に行ったとき、そこにいた腐った警官と、もめた事であった。偉そうに権力を振るっているケニア警察に俺らは荷物チェックを拒んだ事により、理不尽に首元を捕まれ、圧力をかけられた。そのことにキレた、ヒロ君がつかみ掛かった事により、この事件は起こった。どう見ても一方的に警官が悪かった。
最初は、俺も冷静でいたが、さすがにやばいと思い、「ストップ、ストップ」と止めにかかった時に、もう一人の警官に前ゲリをされた事に腹が立ち、襟首をつかみあげ参戦した。2人共さらさら殴るつもりなどなく、セルフディフェンスとして警官を壁に押しつけ鎮めようとしただけだった。

ケニアだけじゃなくアフリカの悪い文化として、例えば物を盗んだり、人を殺したりなど、悪い事をした奴を、村人全員で囲んでボコボコにする文化がある事は以前から聞いてはいたが、その時その標的になったのは俺らの方だった。
周りを囲んでいるような野次馬のケニア人たちも寄ってたかって俺らに殴りかかってきた。それは何の正義でもなく、ただの暇つぶし、うさばらしの様なものだ。しかも屠殺場だけに奴等は、血だらけの白衣に、手には大きなオノを持っていたため、いっそう殺意を感じた。警察自体がそれを煽ってる風でもあった。
「なんじゃこりゃーー!!」と言う、ヒロ君の吠える声で振り返ると、ヒロ君の左手には手錠がはめられていた!それでも、ヒロ君はひるむことなく吠えていた!
10分ほど掴み合いが続いた後無線を受けたアーミーが数人来てウムも言わさず俺らを殴り、その場を鎮めようと空に向け数発発射した。そしてそのまま「ガチァッ」と、Readyの状態で、銃口を俺らに向けてきた。
さすがにその場は両手を挙げて降伏せざるえなかった。手錠を完全にはめられ、署に連行された。署に連行され、荷物を全部調べられたが、すぐに解放されると思っていた俺らに向け「getin」と、監獄の重い鉄の扉が開かれた。
< We are innocent people >

中に入ると、暗く湿った空気の中、20人ほどの目つきの悪い先客がいて、血走った目つきで俺らを見つめていた。入った瞬間に”ヤバイ”という空気が伝わってきた。映画のような殺気に満ちた空気がそこにはあった。
アフリカを旅していると。9割ぐらいの割合で俺ら東洋人を見ると「カンフー」とか「空手」とか、「ジャッキーチェン」とか言われる。しかもほとんどそれらの区別はない。そこでもやはり同じように「おまえは、空手マスターか?」そんな質問攻めにあった。普段なら簡単にあしらってるところだが、そこでは適当に返せない緊張した空気が流れていた。
しかしもちろんその時、その場で「俺は元プロキックボクサーだ」などと正直に言えるようなふいんきでもなかった。下手に言ってしまうと後で面倒な事になる事はわかっていた。暑かったけど肩のタトゥーさえ見せるのはまずいと思い、長袖を脱がなかったぐらいだ。
そこではドラックの売人、強盗犯、殺人犯、さまざまな悪人が集まっていた。その一方でケニア警察の理不尽な行為により、ビリヤードのキュウを折ってしまい、弁償の100シリング(150円)が払えないで何週間も入っている奴や、酒飲んで夜歩いていただけで警察のその時の機嫌で連行された奴など、本当にさまざまな奴がいた。
俺らはすぐにその中のリーダーが誰か悟った。運良く俺らはそいつに興味の対象として気に入れられた。
名前は”ゼブラ”。夜の名は”キューバ”。

12畳ぐらいの狭くて暗い空間にはペンタゴンベースといわれる奥まった特別な空間があった。(実際に壁にペンタゴンベースと刻まれていた。ペンタゴン以外にも、7つぐらいのベースと呼ばれるところがあった)
ペンタゴンはリーダー格しか入れない、彼らにとって特別な空間だった。そこを牛耳っていたやつが、ゼブラだった。俺らには優しくしてくれる一方で、新たにぶち込まれて来たニュウカマーに対してはボコボコにして従わせた。仲間として最高の奴だが、敵にまわすと最悪な奴だった。俺らは仲間として受け入れられてる事に感謝した。一つ間違っていたら俺らもボコボコにされかねなかったが、ゼブラと仲良くしてるせいか、周りの奴等も俺らには手が出せなかった。

その時はすぐに出れると思っていたので初の監獄という事に少しワクワクしていた。飯が運ばれてきた時も、「おーこれが噂の”臭い飯”かー?!」と喜んだり、ここに入った外国人はいないだろうと、壁に自分の名前を刻んだりと”思い出”を、たくさん作ったりしていた。何とも呑気なものだった。
結局その日は出られず、そこで過ごす事になった。6時ぐらいに2度目のくさい飯が運ばれてきた。毎回ケニアで主食であるトウモロコシの粉をお湯でといて練ったウガリというものと、よく分からない葉っぱが付くだけだった。とてもおいしいとも、栄養があると言い難い、まさにくさい飯だった。(実際ここで5キロぐらい落ちた。ベルトの穴が2つも減った)

電気もないため、飯を食い終わった7時ぐらいには真っ暗闇になり、10cm先の、グーチォキパーも、わからないほどで、自然とみんな眠りに落ちていった。
俺らはやはりニュウカマーになるため、トイレ近くの狭い空間に寝るはめになった。もちろん布団も毛布があるはずもなく、打ち放ぱなしの固いコンクリの上に寝るだけ。蚊が半端なく多く、裸足のため露出してる足を隠すためズボンをパンツのギリギリまで下ろすと今度はパンツの中に、大きな噛む蟻が入ってきて夜中、悶絶と共に何度も起こされた。それでも疲れのため眠りに落ちていった。

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